~CFOキャリア戦略~ 石島ゼミOBの橋本宗之さん(SansanCFO)と永見世央さん(ラクスルCFO)にインタビューしました!@Sansan本社

ページ公開日: 2023-07-24 15:00:18

最新の更新日: 2023-07-25 17:42:49

Featured Persons

橋本宗之,永見世央

Interview Contents

~Profile~

橋本宗之さん

 2004年にSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)を卒業し、SA(スチューデント・アシスタント)という形で石島ゼミのお手伝いをしていただいていました。卒業後、リーマン・ブラザーズ、バークレイズで投資銀行業務を、その後、日本政策投資銀行グループ傘下のグループ会社でプライベート・エクィティ業務を経て、現在のSansanには2017年に入社されました。現在は同社の取締役執行役員CFOとしてご活躍されています。

永見世央さん

 橋本さんのSFCでの同級生である永見世央にもご参加いただきます。永見さんはご卒業後、みずほ証券に入社されM&Aアドバイザリー業務を担当されています。その後、2006年にカーライルに移りプライベート・エクイティ業務を担当されてきました。在職中2年間、米国ビジネススクールの名門、ウォートンのMBAプログラムで学ばれて修了されました。その後、DeNA(横浜DeNAベイスターズ親会社)を経て、ラクスルに入社され現在は同社取締役CFOを務められています。その他に数社の社外取締役も兼務されご活躍されています。

 

INDEX 

 橋本さんのご経歴と石島ゼミでの学び 

 永見さんのご経歴と石島ゼミでの学び

 20代のキャリア

 30代のキャリア

 ラクスルについて

 Sansanについて

 

 

橋本さんのご経歴と石島ゼミでの学び 

石島:まずは橋本さんからお話を伺います。

橋本:はじめまして。Sansanの橋本です。最初に自己紹介をします。皆さんは3年生?4年生でしょうか?両方いらっしゃるんですね。内定も決まっている人もいて素晴らしい。3年生はこれからまさに就活という感じですね。機会があれば是非Sansanをご検討いただければと思いますし、内定もらっている人も心持ちが変わればSansanに来ていただいて全然ウエルカムです。是非よろしくお願いします。

 私は先程ご紹介いただきましたように、大学2年生の2001年に石島ゼミに入らせていただきました。当時のSFCでは2年生からゼミ入れたんですね。1年生の終わりに2年生になったらこういう勉強ができますよというのを先生方が順番にプレゼンをしていく授業「総合政策学」がありました。先生のプレゼンを聞いてなんか面白そうだなと。金融の理論ってすごくかっこいいなと、本当にそのときはとてもマジメだったのでポートフォリオ理論とか株価の変動って標準偏差で表せてとか、そういうのすごく面白いなと思って興味を持ってゼミに入らせていただきました。勉強楽しいなと人生で初めて思えたのも大学生のときだったんですけど、当時はめちゃくちゃ勉強を頑張ってやっていました。バイトもしてたんですけどあまりそっちに時間割きたくないぐらい結構勉強してて、真面目に勉強して毎日10時とか11時まで図書館にいて勉強していました。サークルやってそのあとご飯を食べて勉強するみたいなサイクルをやっていて、人生で1番勉強した期間だったし充実していたなと思います。

 卒業後は、倒産してしまったので皆さんあまり知らないかもしれませんが、リーマン・ブラザーズという会社に就職をしました。2004年の就職時には東京で仕事をしていたんですけど、4年目でアメリカで仕事をするチャンスがありました。当初は1年間アメリカに行って修行してこいとのことでした。当時、人事の先輩に呼ばれて、「橋本くん独身だし彼女もいないしアメリカに行ってきなさい」と言われて、じゃあ行くかということで1年間行ったら途中で会社が倒産してしまってそのまま取り残されたわけです。東京の同期や先輩とは会社が分かれてしまいましたが、ニューヨークにいた僕はバークレイズに買収されて結局3年弱ぐらいアメリカにいました。当時、永見さんには2回ぐらいニューヨークに遊びに来てもらった記憶があります(笑)。2010年に日本に帰ってきて、投資銀行業務やM&Aアドバイザリーをやって、その後5年弱日本政策投資銀行の子会社でいわゆるPE投資という、プライベート・エクイティ投資に携わりました。2017年にSansanに入社して2018年からCFOをやっています。Sansanは2019年に上場しましたが、その後も引き続きCFOとして忙しくしています。

石島:ありがとうございます。

石島:石島研での学びというかファイナンスをすごく夜遅くまで勉強して頑張っていたというお話ですけれども、就活などでどのように役立ったのでしょうか?勉強したときに獲得したファイナンスの知識は、今思い返してみて就活ではどのように活きたのかなとお考えですか?

橋本:ちなみに今石島研ではどんなことを勉強しているんですか?

石島:基本的には人気のあるテキストで3年生は学んでいます。春は会計の基礎的な知識を勉強して、秋学期はバリュエーションを含めたコーポレート・ファイナンスを勉強しています。それが基本的な勉強で、プラス今は非財務情報としてコロンビア大学のアッシャー教授が書いたテキストを毎週私が読み聞かせ、嫌がられていますが小テストを毎週やっています。

(参考文献) Usher, B. (2022) Investing in the Era of Climate Change, Columbia Business School Publishing. URL: https://amzn.asia/d/bu5WkP7

永見:結構大変なんですね。

石島:そうしたファイナンスと会計の基礎を必修としてやってもらっているのに加えて、差別化も図っています。橋本くん永見くんが学生のときに私が言っていたのは、学生時代の勉強として、ファイナンス、PCやExcelなどのITスキル、あと英語は自分でやってくださいと。その当時バックオフィスだろうとフロントだろうと500万円から600万円の初任給からスタートできるように頑張りましょう、と何の根拠も実績もないのに、石島ゼミ1期生には頑張ってもらっていたと思います。

橋本: 本当に石島ゼミで学んだことで今の仕事で役立っていることはたくさんあります。今僕がSansanでCFOをやっている限りにおいて普通に会計なんかの知識も役に立っていますし、M&Aとか検討するうえではバリュエーションも当然必要です。リーマン・ブラザーズ入った1年目のときには研修があったり基本的なバリュエーションを行う仕事がたくさんあるんですけど、そのときは同期のなかで僕が1番よく知っていたし、理論的な裏付けももちろんあったので、それはとても役に立っているなと思います。知識ベースでとても役に立ちますし、それ以上に「考えることのコツ」というか、解がないときにこうやったらいいんじゃないとか、こういうふうに考えたらいいんじゃないとか、そういうことにおいてもとても役に立ってます。当時の石島ゼミはアジェンダが確定してなくて、自由テーマで勉強するスタイルでした。僕もDCF(Discounted Cash Flow法)って定石の手順があるけど、違うアプローチだと違う結果になるんじゃないかとかを考えるのがすごい楽しくて、そういうのがすごく頭の使い方として役に立ったなと思います。

ちょっと永見くんとかは違う感想かもしれませんが。じゃあ一旦ちょっと永見君にふってもいいですか?

 

永見さんのご経歴と石島ゼミでの学び

石島:永見さん、お願いします。永見さんは特に当初文学部だったのに総合政策学部に転部されてきましたね。

永見:先生、よく覚えてますね。

石島:なぜ転部して早々ファイナンスをやろうと思ったのかということと、進路を考えたときファイナンスしかないと思った決め手というか、転部したきっかけを教えていただけますか。

永見:皆さんこんばんは。永見と申します。のんちゃんのCMを見たことありますか?そのCMでお馴染みのラクスルで経営をしています。

 僕は1999年に慶應義塾の文学部に最初入学しました。もともと本を読むことが好きだったので、僕はフランス文学専攻を選んで、そこでアンドレ・ジッドやサルトル等、半分哲学的なことも含めて勉強していました。フランス文学を勉強しててめちゃくちゃ楽しかったんですけど、ある日、三田キャンパスで日経新聞がたまたま置いてあったんです。初めて日経新聞読んで、数字を通して社会を俯瞰するってめちゃくちゃ面白いなとそのとき気づいて、経済学とか経営学を勉強したいなってそのときに急に思い始めたんです。ただ一方で、文学部的な勉強は引き続き好きでやり続けたいと思ったので、それ両方勉強できるところどこなんだろうと思ったらSFCっていうキャンパスがあるというのをそこで初めて知りました。SFCの転部試験を受けたらたまたま受かりました。これが僕がSFCに移ったきっかけです。SFCに転部後の最初の1年間はひたすら数学の勉強していました。数学の補講みたいなのがあって、1個下の1年生の子たちと、一緒に数学をひたすら勉強するみたいな。あとプログラミングもやっていて、それまでどっぷり文学部という感じだったので、数学やプログラミングが本当に初めてで、でもめちゃくちゃ勉強になって楽しかったというのがありました。石島ゼミに入った時期を忘れちゃったんですけど、当時、数学やプログラミングに関する能力が高くない文学部出身の学生を引き受けてくれるようなゼミがあんまりなくて。僕が初めて先生にお会いしたときって20代後半ぐらいで、「ファイナンス勉強してみたいの?」と言っていただき、「勉強してみたいです」って言ってゼミに入れてもらいました。僕は橋本さんと違って知的なバックグラウンドがなかったので、結構苦労しました。

 実学や就職の観点でいうと、まさに先生がさっきおっしゃった三種の神器じゃないですけど、ファイナンス、英語、PC、全部活きてるなと思っています。2000年代前半が多分それで、2022年にそれを置き換えると、三種の神器の項目は一緒ですが、言語でいうと英語はもうできて当たり前。できれば中国語できたほうが良い。PCもExcelができるのは当たり前で、プログラミングできなきゃ、コード書けなきゃというのが2022年という感じでしょうか。最後ファイナンスは本質あんまり変わらないなと思うんですけれども、さっき橋本さんが言ったみたいに、その前提として会計知識が相当大事で、簿記は受けておいたほうがいいと思います。僕も2級3級って両方とりましたけど、やっぱり会計知識は前提ないときついです。加えて数学や統計ができたほうがファイナンスとしては必要でしょうか。少し、多くなりましたが、そのへんが三種の神器の2022年版という感じです。就職前に食わず嫌いでちゃんと勉強しておいたほうがいいと思っています。あのときラクスルの永見がこんなことを言ってたなってきっと思い出してくれることがあると思いますが、社会人になって5年後とか10年経ったら絶対に活きます。それぐらい基礎知識やスキルがあれば就職とか転職で困ることほぼないと思います。それら一連を勉強するのがいいと思ってますが、石島ゼミはそれ全部勉強できるんですよね?

石島:そうなんです。石島ゼミのこれからの企画として、R言語を合宿で取り組めれば思っています。

永見:言語的なトレンドで言うと、Pythonとかそっちのほうが全然いいと思うんですけど、ただ発想は基本的に一緒なので、そういう意味においてはやったほうがいいと思います。基本的にはプログラミング書けて、かつファイナンスもできて、英語も軽く話せますみたいな感じだったら社会では絶対にどこでも活躍できます。プログラミングの勉強はしたほうがいいと思っているので、先生がそういった機会を合宿等で提供してくれるんだったらやったほうがいいんじゃないですかね。一旦、また橋本さんに戻します。

石島:貴重なアドバイスいただきましてありがとうございます。

 今永見さんから3つのスキルについて語っていただきましたが、橋本さんはどのようにお考えでしょうか? 石島ゼミの合宿では、Excel VBAやAccessを特訓したわけですけど、それを現代版で言うとPythonかなと思っています。プログラミングは、橋本さんのキャリアのなかでどのように活きたか、あるいは特にプログラミングは行っていなかったなど、お聞かせください。

橋本:1回やったことあると、やったことないは全然違います。学生のとき、VBAを使って平均分散ポートフォリオの有効フロンティアを自動で描くプログラムが課題でした。

永見:合宿の課題だったよね。

橋本:あれに取り組んで、なんとなくプログラミングこうやるんだ、コードってこうやって書くんだというのを知っていることで、だいぶ違いがあります。実際に社会人になって1回だけVBAを使ったことがあってそのとき自分で書いてやったんですけど、その1回限りではあったものの、「すごいなお前」みたいな周りからの評価でした。でも、さっき永見さんが言っていましたけどそれがだんだん当たり前になってきて。
 また、英語でのピッチも当たり前になってきます。永見さんとも、たまたま一緒だったんですが、海外投資家を招くイベントがあって、僕ら上場会社は1つの部屋に閉じ込められて投資家が1時間おきに入れ代わり立ち代わり入ってきて会社のピッチをするという企画があって、ほとんど外国人投資家なんですね。なのでミーティングを英語でやるのですが、通訳を使っている会社がたくさんありました。それだけで1時間のミーティングが30分しか使えないみたいな感じになってしまいます。そのため英語でミーティングやピッチをするのが普通というか新しいスタンダードというかたちです。僕は中国語はできないけど、英語でのミーティングやピッチくらいは必要なのかなと思ったりします。

石島:ありがとうございます。

 

20代のキャリアについて

石島:先程、永見さんより「言語でいうと英語はもう普通当たり前。できれば中国語できたほうが良い」というお話がありました。橋本さんは外資系金融機関への就職を見事に突破されたわけですけれども、その際にどれぐらい英語のスキルが活きたという印象でしょうか?橋本くんが英語がすごいというイメージが…。

永見:確かにそのような記憶はないですね。

橋本:当時慶應SFCでは、第2外国語を選ぶ必要がなくて、英語をやりたい人は英語だけでよかったんですよね。ただレベル別にクラスが分かれていて、僕は下から2番目のクラスで、結構悲惨でした。僕は内部の付属校から上がってきているので、高校ではあまり勉強してなかったんですよね。その反動で大学で頑張って勉強したんですけど。英語も全然できなくて、就職活動するときにグローバルな感じで働くのもかっこいいなという憧れだけで外資系がいいなと思って入りました。入ったらやっぱり苦労するんですけど、当然、仕事で使わなきゃいけないし「お前このミーティングは英語だけど、一言も喋らなかったら次から呼ばねえからな」みたいな体育会の雰囲気だったので、ちゃんとやらなきゃっていうプレッシャーを自分でかけながら仕事に向き合っていました。結果3年経ってもそんなに上手にならなかったので「お前アメリカに行け」って言われて、アメリカに行ったら当然海外の人ばかりなのに、英語ができない状況だったわけです。「あいつなに言ってるかわかんない」と後ろ指を指されながらヒイヒイ言いながらやっていました。そういう経験を通じて、家で発音の練習したり、ちゃんと勉強してました。その間、永見さんはMBAに行って楽しそうだなって見てましたけど、僕はヒイヒイ言いながら英語を上手くなりたいなって思いながらやっていました。そういう苦労する経験を通じて自分にプレッシャーかけながら成長していくという感じでした。僕の20代は。

石島:そうすると英語が就活の成功の決め手ではなくて、別の何かの要素ということになると思うんですけど、それはなんだったかなと思いますか?

橋本:金融を勉強していて金融が面白いなと思えたこと。もともとは、数学っぽいところとか、ブラック・ショールズ公式とか、面白かったんです。勉強を進めていくと、企業が企業を買うとか、それによって業界図が変わるとか、そういう話が面白いなと思えてきて、そういう案件に携われたらなというので企業のM&Aをアドバイスする仕事に就きたいなと思いました。

石島:続けてで恐縮なのですが、アメリカの企業の文化のなかでやっていくと言語的なこと以外にも、メンタル面が気になります。異文化に飛び込んでいったことや、入社後数年経たないうちに破綻した経験など、そういった時にどうやってそれを克服していったのかとか、そのときに例えば永見くんをはじめとした当時のゼミ生との関わりなど、そうしたエピソードがあれば教えてください。

橋本:投資銀行の本場であるニューヨークは憧れなので挑戦してみたいなという想いがあり、かつ自分のキャリアのなかでなにか身に着けなきゃなと、これやったぜみたいなのほしいなと思っていたのでアメリカで挑戦したいなと思いました。所詮失うものなかったんです。25歳のときにアメリカに行ったんですけど、死ぬわけでもないし、命取られるわけでもないし、とりあえず行ってみようと思いました。最近あんまりそうは思わないんですけど20代のときは苦労したほうが自分成長するよなって思っていたので、苦労する道を選んでいくと、外資系に行ったほうが苦労しそうだなとか、海外勤務のほうが苦労しそうだなと思っていました。

 実際アメリカに行って1年ぐらいは結構ヘコむことがたくさんありました。部下からしても全然英語が喋れない上司って嫌じゃないですか。なに言ってるかわかんないし、聞いても理解してくれないしみたいな。それはそれで嫌だったので、僕も自分がバリューを出せる活路を見出しました。石島研で学んだこともそうですけど、数字が強かったので、当時アメリカにいた部下たちには悪いけど「この作業俺やるからお前こっちの文章書いて」みたいな形でバリューを出していました。当時はめちゃくちゃ景気が悪くて四半期に1回リストラがあって15%社員がいなくなるみたいな状況でした。僕は日本に帰れるつもりだったのですが、会社が破綻して後ろ盾がなくなり、その後は僕もクビになるかなと思ってたんだけど、意外とならなくてですね。そのときもいかにコミットしているというのを見せれるかというのが大事だなと思っていて。会社が倒産するときとかみんなどうしたらいいかわかんないんですけど、とりあえずその時は僕めちゃくちゃ忙しくて。会社がこの日で破産宣告しますという日もすごい仕事がたくさんあって朝5時ぐらいまでやってて、帰ったら倒産するんだみたいなニュースが出てて。倒産するときとかみんなもう昼ぐらいから飲みに行ってるわけです。でも僕仕事たくさんあるから飲みに行けないし、そういうのを見てくれている上司がいて、「お前のお陰でこれができたから」みたいなことを言ってくれたりして、そういうのがすごく励みになったしよかったなと思っていますし、その道中でも、そういえば当時のゼミ生がニューヨークに遊びに来てましたね、倒産直後に。

永見:1番大変なときに。

橋本:ミュージカル行こうとか言われて見に行った記憶があります。アメリカに行ったときは狭い家に住んで、友達も別にいないし、めちゃくちゃ孤独だったんですけどたまに日本からそうやって来てくれたりビジネススクール行く途中で寄ってくれたりとか、そういうのは励みになったので大学のときの友達は貴重だなと、今でもお付き合いがあったりはします。

石島:ありがとうございます。同時期の永見さんのお話もうかがいたいんですけど、1番最初にみずほに入って、希望通りの職種になったと思うんですけど、なぜ2年ぐらいで早々にプライベート・エクイティをやる会社に移られたのですか?日本の企業の文化とかが合わなかったのか、あるいはやりたいことがでてきたのか、そのあたりの心境の変化ですとかモチベーションを教えていただけますでしょうか。

永見:橋本さんも僕も2004年の4月に社会人になったんですけど、そのとき景気がすごく悪くて。りそな銀行が1回国有化されたりとかっていうタイミングで、当時新卒の就職活動めちゃくちゃ大変だったんです。そのときに橋本さんが外資系投資銀行リーマン・ブラザーズに入ったのはめちゃくちゃすごくて、多分外資系投資銀で当時2004年のポジションってほぼなかったんですね。僕は同じように外資系投資銀行希望していたんですけど、外資系投資銀行はオファーもらえなくて、でもやっぱり石島先生のところで勉強したファイナンスのことを活かしたいなと思ってみずほ証券に入り、そこで2年ぐらいいろんな企業の買収とか合併とか企業再編の案件をたくさん経験しました。2年ぐらい経って会社に対する不満はまったくなかったんですけど、そろそろ外資系の投資銀行でも受けてみようかなと思って同じビルに入っていた外資系投資銀行とか受け始めて、内定を複数もらってどこにしようかなって悩んでいたときに、たまたまカーライルという外資系のプライベート・エクイティファンドが日本で第二新卒の募集をしてるから1回受けてみないかって声をかけてもらいました。日本だと20人ぐらいの会社なので、全員と面接してたまたま面接で合格もらって入ったみたいな感じです。投資の仕事をそんなに早い年齢でやれるとまったく思っていなかったので本当にラッキーだと思いました。

自分のキャリアのなかで一貫しているのは、結構好奇心強くて、人と同じことやってるとつまんないなと思って、絶えず新しいフロンティアに自分がチャレンジしたいみたいという意欲だけは結構強いことです。なので結構若い年齢でカーライルに入りました。ただ僕、橋本さん以上に英語できなかったので英語めちゃくちゃ苦労しました。カーライルという投資ファンドは、グローバルにルールがあって、社会人2、3年目で入った人たちは2、3年で1回全員辞めてアメリカのトップ3のビジネススクールのどれかに入らないと帰ってこれないというルールがありました。僕は3年目に受験してそのうちの1校受かって、卒業してなんとか戻ってこれたみたいな感じでした。色んな国から来てる900人ぐらいのコミュニティなんですけど、とにかくみんな優秀でした。皆さんももし機会があるんだったら日本じゃなくて早めに海外でチャレンジするのも全然ありだと思っています。今日本円安ですしそもそも人口減っていくので日本だけでビジネスやっていくってなかなかきつい要素あって、早めに海外にチャレンジするというのは大事だと思うし、僕もMBAですけど海外に20代で行けたというのはすごく本当にラッキーだったなと思っていて、今も財産になっています。20代はそこで終わりました。

橋本さんの20代のときに苦労したいって僕も同じ考えで、若いときにエグい経験とか大変な思いするというのはその後絶対に活きてくると思うので、あえてそういうところに突っ込む必要があるのかという話は当然あると思うんですけど、大変な経験は早めにしておいたほうがいいかなというふうには思ったりします。学習能力って基本的に年齢とともに一般的には落ちていくので、さっきのプログラミングみたいな話も40代で初めてやると結構辛かったりするので、早めに挑戦した方がいいかなと思ったりします。

石島:例えば今のアメリカのMBA生って25、6歳とか。そのとき永見さは28で結構ぎりぎりでしたか?

永見:当時は平均でした。

石島:今はもっと若い。

永見:若年化してますね。なんで今アメリカのビジネススクールが若い人入っているかというと、1つは若いやつのほうが卒業したあとに何回か失敗してもそのあと成功すればいいじゃんっていう。あと、3回起業して2回失敗しても3回目に大成功すればもう大当たりなので早めに行けよという話が1点。学校側でいうと、若いやつが入って早めに成功したほうが寄付たくさんもらえるという感じで若年化していますね。

石島:もうちょっと伺うと、今ウォートンって8万6,000ドルぐらい授業料がするという話なので1番高いじゃないですか。そういうのってカーライルに入ったとしても結構年数があって大変かなと思うんですけど。

永見:めちゃくちゃ大変ですね。自費だったんで。

石島:そのときはスチューデントローンとか。

永見:スチューデントローンしました。お金使いすぎたので。旅行行きまくっちゃって。金利当時6%とかでしたね。めちゃくちゃ高かったです。返済するのにその後時間まあまあかかるみたいな。

石島:でもそれはやっぱり元とれると。

永見:元とれたというか今もアセットですね。留学の同級生で多分皆さんが知っている人でいうと、マネーフォワードという会社のファウンダーでCEOの辻さんが歳は4つ上なんですけど同級生で今も友人ですし、石島研も一緒ですけどそういったコミュニティがすごく大事で、みんな仲良くしていくとお互いに助け合えるので、卒業したらはいおしまいじゃなくて卒業後どれだけみんなで仲良くし合えるか。上下もそうですよね。上下の先輩たちも結構大事なつながりで、関係は続けたほうがいいです。石島研で3つぐらい上の小倉さんという先輩が、カーライル入ったタイミングで同日入社で「先輩も入ったんですか?」みたいな。入社日が一緒で。

石島:そうだったんですね。

永見:「僕カーライル行きます」って言ったら「俺もカーライルに行くわ」って言って。そんな感じの結構上下関係は大事にしたほうが絶対アセットになると思いますし、就職とか転職のときにも活きてくるかなと思います。中央大の方がどういうような就職活動されているか僕わからないんですけど、本当におすすめは1個だけあって、就職活動のランキングとかで就職先選ぶの絶対にやめたほうがいいです。マジで意味ないです。大きい会社だからとか、有名な会社だからとか、この会社入るとみんなにモテそうとか、どうでもいいと思っていて。自分がその会社を通して、どういうふうに自分が成長できるかとか、その会社という器を通してどうやって社会に貢献できるんだ、みたいな話は結構大事だなと思っていて、そこにやっぱりキャリアも付いてくるし、報酬も付いてくる、みたいな発想だと思っています。なので、自分としてのオリジナルな価値観とか、やっぱり会社を見るときのクライテリアとかというのを持てると、非常にハッピーだと思っていて、みんながこの銀行を受けているから自分も受けなきゃ、みたいなのは、やっぱり全員不幸になると思うんですね。

20代は、一旦以上です。

石島:ありがとうございます。すごく面白かったです。

 

30代のキャリアについて

石島:橋本さんに戻っていただいて、30代についてもお伺いしたいです。

経歴的に、橋本さんの場合には一旦バークレイズの日本オフィスに戻ってきて、そのあとDBJの子会社を経験されていると思いますけど、そこからSansanに至るまでの経緯などをお話いただければありがたいです。

橋本:外外資系に入って、永見さんがプライベート・エクイティの仕事をしてる姿とかを見たり、あるいは自分で証券会社として、M&Aのアドバイスとか資金調達のアドバイスをしてるうちに、会社ってどうやって回っているんだろう、ということに対する興味がすごい湧いてきました。そこに対して一歩近づくために、自分で投資をして、自分で価値を上げていくみたいな仕事をしたいと思いました。

丁度、日本政策投資銀行が、融資じゃなくて投資をやっていこうというので、新しく子会社を作って、そこでプライベートエクイティビジネスを立ち上げる部隊がありました。そこで昔の先輩がいたので、誘ってもらって、4年半ぐらい、投資の仕事をしました。投資の仕事をするというのは、投資をして、経営陣と一緒になって、会社の価値を上げていこうという仕事なので、証券会社よりは一歩会社の経営ってどんなものかというのに近づきました。ただ、やっぱり本質がつかみきれないなと、しょせん外の人だったし、一緒に肩を組んでやっていくつもりだけど、クライアントはそう思っていないかもしれないな、と思って。そこはやっぱりちゃんと実感を持つには、自分が事業会社に入って、ビジネスってどう回っていくのかなというのを、ちゃんと経験しないと駄目だなと思いました。僕がSansanに入る前に、僕の前にCFOだった人が、リーマンブラザーズ時代の先輩で、彼が辞めるときに、新しい後任を探しているからということで声を掛けてもらいまいた。こんな機会があるんだと思って、Sansanってどんな会社なんだということを何回も聞きながら、社長にも何度か会ってもらったり、ほかの経営陣に会わせてもらったりする中でとてもいい会社だなと思えました。永見さんにも、ちょっと覚えているか分からないけど、1回相談させてって言って、渋谷の蕎麦屋で、ちょっと飲もうよと言って飲んで、相談して、Sansanどう思う?という話をしました。くだらない話が多かったけど(笑)。

永見:何を話したか全く覚えていない(笑)。

橋本:でもやっぱりそういうので思うのは、不安じゃないですか、いろいろ悩んだり、人生の岐路に立つときって。こっちがいいかな、あっちがいいかなって。でも、昔の友達とかに会うと、やっぱり変わらないんだな昔と、って。だから自分もどんな選択肢を選んでもそんなに変わらないだろうなと思えるのは、とても、僕にとっては居心地がよくて。相談の内容は本当に役に立たなかったけど、そういうのを確認できたステップとしてはよかったなと思います。
その後、Sansanにジョインしました。入ってみるとやっぱりとても楽しくて、金融業界って、より報酬とか、案件のサイズとかでモチベートされている割合がすごく高くて、そっちにバイアスがかかっているんですけど、事業会社って必ずしもそうじゃなくて、みんながそれぞれ持ち場で、もうちょっと自分の仕事にパッションを持っていたりとかいう比率が高いなと思いました。そういう人たちと一緒に会社を運営していくというのが面白いと思ったし、その中で自分が会社にちゃんと貢献できているという実感もありました。僕、キャリアを振り返って、仕事辛かった時期もたくさんあるけど、今が一番仕事楽しいなと思えています。

石島:ありがとうございます。同じ質問を永見さんにしたいんですけど。ウォートンから帰ってこられて、また一旦は元の職場に?

永見:そうです、カーライルに戻りました。

石島:戻られて、その後現在のラクスルに入る経緯について、差しさわりない範囲で教えていただけますでしょうか?

永見:アメリカのビジネススクール行っているときに、1年目と2年目の間で、同じカーライルという投資ファンドの、ニューヨークのオフィスでインターンしたんですよ。そのときに、すぐ隣にいたのが、『巨象も踊る』のIBMのルー・ガースナーという名経営者がいたんですよ。そういう感じで、投資していた人たちがいきなり会社経営しているとか、会社経営していた人がいきなり投資家になっているみたいな、日本にはほぼいない、投資という仕事と会社の経営という仕事をシームレスに行き来している人がエグゼクティブたくさんいました。自分もそういうキャリアを通して、社会に貢献したいなっていう思いが結構強くなって、一旦カーライルに戻ったんですけど、その行き来をするというのとは、一旦会社経営してみたい、自分も事業をやってみたいというので、たまたまラクスル、今の会社と知り合って、経営会議とかに遊びに行く中で、自分が貢献できる余地がありそうだなと思って、2014年に入りました。今は社員500人ぐらいなんですけれど当時は15人ぐらいでしたね。別にファイナンスとか財務のことだけやってたわけじゃなくて、事業もやったし、組織も作ったし、自分で知り合い10人以上連れてくるみたいなことをがむしゃらにやってきて、それが9年。途中、入社して4年ぐらいで会社が上場したんですけれど、そこからさらに5年経っているみたいな感じで。その間はもうキャリアとか考えなくなってて、会社を経営しているんで、自分のキャリア考えているより、どっちかというと、社員のキャリアをしっかりと考えるみたいな発想になっていました。

 

ラクスルについて

石島:その続きで、そのまま質問させていただきたいんですけど、ラクスルというのはどういう会社ですか?世の中にどういうような価値を提供し、貢献していきたいと考えていますか?

永見:会社のビジョンが、「仕組みを変えれば、世界はもっと良くなる」というビジョンで、BtoBの産業を、テクノロジー・インターネットの力でよりよくしていこうという、そういったミッションでやっていています。最初は印刷のビジネスをやっていました。印刷の市場は需要と供給が全然マッチングがうまくいっていなくて、非常に非効率が多いです。そこで僕たちはお客様をたくさん集めてきて、自分たちが裏側で印刷会社さんをパートナーで集めて、そこの需要と供給をなめらかにテクノロジーでマッチングする、みたいなことをやっています。年賀状とかチラシとか印刷できるんで、ぜひ出してみてください、ゼミの名刺とかあるんですか?就職活動の名刺とか、印刷してみてください。

ただ、自分たちは印刷だけの会社じゃなくて、いろんな業界、大きなBtoBの産業をテクノロジーの力でよりよくしていこう、という立ち位置なので、同じような発想で、物流業界向けのサービスだったり、広告業界向けのサービスとなっていて、こういったかたちで大きい産業をテクノロジーの力で変えていこうと思っています。人数は少人数でもいいから、やっぱり仕組みを作っていく、仕組みを変えていくことを創業してからずっと、もう13年なんですけど、やってきている会社ですね。

石島:ありがとうございます。

 

Sansanについて

石島:Sansanについても教えていただけると嬉しいです。

橋本:僕の会社も、永見さんと同じように、ソフトウェアを提供しているんですけど、僕らのミッションは、『出会いからイノベーションを生み出す』というミッションで、プロダクトとしては名刺を主に扱っています。皆さん、社会人になると名刺交換をいっぱいすると思うんですけど、それをポケットに入れといても何の役にもたたないので、データ化して、クラウドで整理して、かつ会社の中でみんなが見れるようにすると、あの人あの会社とつながってんじゃん、というのが分かる。そこからビジネスを生み出すときに、あのコンタクトあるよね、と、そういうふうに使ってほしいなと思っています。

肝は、いかに名刺という物を、きれいにデータ化できるかという話なんですけど、最近はそれを名刺という紙媒体の物だけじゃなくて、請求書とか契約書とか、いろんな紙媒体の物に転用して、それをサービス、マスプロダクトとして提供しているという会社です。今、従業員は1,200人ぐらいなので、このビルも900人ぐらいいるのかな。

石島:ありがとうございます。

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